支那事変時には、中国方面への派遣に際して、防弾板の他に仮設の機銃も装備することもありました。
防弾装置ではないですが、支那事変時の駆逐艦の特徴でもある仮設機銃についても少し紹介しようと思います。
1.仮設機銃の装備理由
仮設機銃に関する命令としては、「第1水雷戦隊司令部事変日誌」の機密二警第二封鎖部隊命令第一号や、機密中支第二警戒部隊命令第一号にて、「現ニ供用中ノ七・七粍機銃ヲ成ル可ク多数適宜ノ位置ニ仮設シ當番機銃側ニハ適宜応急弾薬ヲ準備ス 而シテ中一挺ヲ艦橋附近適宜ノ位置ニ装備シ指導機銃タラシムルヲ可トス」との記載が確認できます。
文中の「指導機銃」が何かというと、「第1水雷戦隊司令部事変日誌」にある「一水戦機密第一号ノ二七」に「(二)見張機關、哨戒長、機銃相互間ノ連繋ヲ緊密ナラシムルコト、攻撃動作輕快ナル航空機ニ對應センガ爲ニハ右各機關間ノ費消時ヲ可能ナラシムル如クスルコト必要ナリ而シテコレガ爲ニハ出來得レバ右三機關ヲ同一個所ニ置クヲ理想トスベク、差當リ現状ニ於テハ左ノ方途ニ依ルヲ可ト認ム、見張機關ノ重點ヲ艦橋天井ニ置クモノトシ防禦砲火指導ノ爲同所ニ七・七粍機銃ヲ臨時仮設ス而シテ黎明薄暮等ニ於テハ見張員ノ指示ニ依リ直チニ右機銃ヲシテ曳跟弾混用ニ依ル射撃ヲ開始セシメ他機銃ニ對スル目標指示ヲ行フモノトス」という記載の下線部分のことを指しています。
つまり、「一水戦機密第一号ノ二七」で想定されている仮設機銃の用途としては、直接敵機を落とすためのものではなく、黎明薄暮等の視界が悪くなる時にも他の機銃と連携し、敵機に対応できるようにするためのシステムの一部として、使用することを目的としたものであるということが分かります。
先述したような、艦橋の天井に仮設機銃を装備している様子は、写真3のような写真が複数確認できていますが、写真6のように甲板上に設置されたケースも見られます。
この場合、機銃の高さは低くなり、敵機へ対応するために他の機銃に対して目標指示を行うという、砲火指導の役割を果たすには難しい設置個所のように見えますが、これは「砲艦建造参考資料」の「對陸兵近距離戦闘ヲ主トスル関係上機銃ハ成ルベク多キヲ可トスベク(後略)」という記載内容から、敵機へ対応するためのものではなく、江岸の中国兵に対するものと考えられます。
実際に航泊日誌でも江岸の敵兵に対して、機銃にて反撃していることが確認できており、小さい目標に対して取り回しの良い機銃が多く必要だったと考えられます。
2.仮設された主な機銃と設置例
①三年式6.5粍機銃
・夕立の1番砲上
写真1(「海と空」昭和16年6月号より)
・樅型または若竹型の3番砲台
写真2(筆者所蔵)
・機銃図
図1(各種機銃縮図より筆者作成)
②留式7.7粍機銃
・時雨の艦橋天井
昭和15年頃の中国方面(三亜)での撮影と思われます。
写真3(筆者所蔵)
・萩の1番砲上
写真1の夕立同様に主砲上への設置しており、スペースが少なく、あまり強度が無さそうなところにも設置されているのが確認ができます。
また、仮設機銃ではありませんが、睦月型の卯月では12年9月3日に左舷の機銃を1番連管上に移動しており、状況に応じて柔軟に機銃を配置していたことが伺えます。
写真4(「アサヒグラフ」昭和12年8月11日号より)
・機銃図
図2(各種機銃縮図より筆者作成)
③毘式7.7粍機銃
・若竹の探照灯台
写真5(筆者所蔵)
・栂の甲板上
仮設機銃に防楯があるのは珍しく、また、三年式や留式の防楯と違い、両端が内側に折れているのに注目。
昭和14年時点で栂は毘式7.7粍機銃を2挺装備していました(詳細はこちら)。
写真6(筆者所蔵)
・機銃図
図3(各種機銃縮図より筆者作成)
■参考文献・参考史料
・「第1水雷戦隊司令部事変日誌」(防衛研究所所蔵).
・「砲艦建造参考資料」(防衛研究所所蔵).
・海と空社(1941)「海と空」6月号.
・朝日新聞社「アサヒグラフ」(1937年8月11日号).
・各航泊日誌