白露型の酸素魚雷搭載について

酸素魚雷装備について
 白露型が九三式魚雷(以下酸素魚雷)を積んでいたのは知られていると思いますが、その明確な時期や、酸素魚雷の搭載に伴い第二空気圧縮機の搭載については各艦はっきりしていません。
 『昭和造船史』によると「昭和17年に九三式魚雷搭載工事を施行し約50t重量が増加した」とありますが、『海軍水雷史』には、第二空気圧縮機5型(九五式酸素発生機)は「昭和17年頃迄に特型駆逐艦の全部、並びにその後建造の新型駆逐艦の全部に装備された」と記載されており、昭和17年頃には酸素魚雷と一緒に酸素魚雷の調整に必要な第二空気圧縮機も搭載されたと考えられます。そこで、他の史料も参照し、できる限り調べてみました。

■酸素魚雷搭載時期
 白露型が酸素魚雷を搭載した時期ですが、『昭和造船史』が昭和17年で、鹿山誉氏が中心となって元村雨乗員らの話などをまとめた『駆逐艦村雨の最期』では昭和16年9月、同様に元乗員らの話が載っている『駆逐艦夕立』には昭和16年4月に酸素魚雷を搭載したとなっています。最後の2つはどちらも月が違いますが同じ昭和16年です。
 戦史叢書の『海軍軍戦備1』によると酸素魚雷は「昭和15年から連合艦隊所属水雷戦隊新型駆逐艦に逐次供給」とあります。『駆逐艦夕立』には「昭和15年10月、連合艦隊の機密命令をもって各艦に九三式魚雷の装備が令され、『夕立』も16年4月この魚雷を装備(14本)した」と書いてあり、昭和16年10月19日に4水戦旗艦那珂のもと、第2駆逐隊含めた3個駆逐隊は艦隊訓練の中で、各艦酸素魚雷(演習頭部)一本を実射しています。
 酸素魚雷搭載に伴う発射管の工事について『海軍水雷史』には「本改造工事を行うためには、管体上部に装備されている発射装置の殆ど全部を一時撤去しなければならなかったので、改造工事だけでなく撤去部品の復旧、調整の上空打発射試験までしなければならず、極めて多大の日数と工数を必要とした」とあります。そこで、白露型各艦の15年以降の整備作業状況を『行動調書』を参考にして表1にまとめました。

表 1:筆者作成

 不明と書いてあるところは行動調書に記載が無かったところです。図を見てみると16年には各艦ほぼ同時期に2回整備作業を行っていることが分かります。2回目は出師準備第2着作業によるもので、白露型はこのどちらかで酸素魚雷搭載工事を行ったと考えられます。

■第二空気圧縮機の有無
 先述した通り、『海軍水雷史』には第二空気圧縮機を搭載されたと記載されています。ですが、『一般計画要領書』の白露型の欄を見る限り酸素魚雷は搭載されているものの、第二空気圧縮機は搭載されていません。
 酸素魚雷を途中から搭載した艦には、特型、初春型、白露型、朝潮型がありますが、最初から第二空気圧縮機が搭載されていた朝潮型以外は一部を除いて搭載されていません。一部というのは、有明と夕立のことで、どちらもはっきりとした証拠はないですが、有明は田村俊夫氏の聞き取り調査で判明しており、昭和16年7月28日~9月6日に佐世保にて出師準備工事と修理を行い、その内8月9日~同月20日まで入渠しました。その際に発射管を改造し酸素魚雷の搭載に伴い第二空気圧縮機を搭載したそうです。
 夕立は『駆逐艦夕立』に「当時特用空気を充填するため、団平船で木更津航空隊まで魚雷が運ばれた事は記憶に残る一つでもある。その後自艦に特用空気の充填設備が整備されて、それ以後自艦で調整充填ができるようになった」という記載があることから、酸素魚雷を搭載後、第二空気圧縮機を搭載したと考えられます。

図 1:一般計画要領書(筆者所蔵)

 『一般計画要領書』と聞き取り調査や戦友会の史料と食い違っていますが、どちらかが間違っているわけではないと考えます。それは『一般計画要領書』が各艦型の各艦に至るまで細部にまとめたものではなく、その艦型(ここでは白露型)に出された訓令工事等を現状(18年3月時点)までを反映した『兵器簿』という史料から引用しているため、個別で別の工事をした際には反映されず、実際に第二空気圧縮機を搭載した艦があったとしても、この史料から知ることはできないためです。
 また、昭和17年10月24日には、舞鶴で不知火、霞、大潮が第二空気圧縮機を撤去しており、同年10月30日には駆逐艦の第二空気圧縮機を撤去するよう訓令が出ているため撤去後を示しているとも考えましたが、朝潮型、陽炎型、夕雲型には記載があるため、もし白露型に搭載の訓令が出されて、ほとんどの艦が搭載していれば記載されているはずです。
 ちなみに、酸素魚雷の自艦での調整に第二空気圧縮機は必要不可欠ですが、酸素魚雷を搭載、運用するのに必要というわけではなく、第二空気圧縮機を搭載していない艦は、上記で引用した『駆逐艦夕立』の記載にあるように、調整済みの魚雷を搭載して、必要があれば巡洋艦か陸上の航空基地で空気の充填や調整を行いました。

■時雨の要目簿
 白露型の史料には、『駆逐艦時雨要目簿』(以下要目簿)という昭和16年7月22日の官房機密第6539号訓令による水雷兵装改装後の要目簿がありますが、それについて気になることがあります。それは、竣工時の白露の水雷兵装重量が116.902トンであるのに対して、改装後の時雨の水雷兵装重量は115.651トンと、時雨の方が1.251トン軽いことです。
 本当に白露型が16年内の2回の整備作業のうち、どちらかで酸素魚雷を搭載したのであれば、この『要目簿』は時期からして2回目の整備作業完了後のもので、酸素魚雷を搭載している状態を示しているはずです。単純な計算ではありますが、少なくとも九○式空気魚雷(以下空気魚雷)は1本2,540kg×16本で40,640kgであるのに対し、酸素魚雷は1本2,800kg×16本で44,800kgであり、魚雷だけでも時雨の方が4,160kg重くなるはずです。
 それに加えて、『一般計画要領書』の現状には白露型が搭載している空気圧縮機は、もともと搭載していた武式W8型空気圧縮機2つの他に、由式空気圧縮機も2つ搭載していることになっています。
 由式空気圧縮機は14年7月から8月にかけて駆逐艦朝潮に搭載して、実艦での実用実験が行われた後に、正式採用され量産が開始されたもので、搭載されたとなれば白露型は14年8月から18年3月の間のどこかで搭載したことになります。
 そこで、なぜ時雨が白露より公試状態における水雷兵装重量が軽くなったかについての要点を整理しました。

図 2:時雨要目簿(筆者所蔵)

・酸素魚雷搭載時に由式空気圧縮機を装備していたか
 朝潮での実験から量産、供給されるまでどれだけの期間が必要かは分かりませんが、判明している限りでは、先述した通り実験が終わる8月から由式空気圧縮機が搭載されるとする『一般計画要領書』の現状(18年3月)までのどこかで搭載されたことになります。
 由式空気圧縮機が戦前に搭載されたとなると『要目簿』に記載されている訓令の内容は酸素魚雷の搭載工事か、由式空気圧縮機の搭載工事のどちらかですが、空気圧縮機に関する史料が少なく決定的な証拠となり得るものを見つけることができませんでした。

・搭載していた酸素魚雷の本数
 今回基本史料としている『一般計画要領書』の現状には「九三式一型改二 14」と記載されています。白露型が魚雷を減らした改装として知られているのが昭和17年末~18年頃の機銃の増備や換装に伴い、その重量増加の代償として予備魚雷2本とその予備魚雷格納筐を撤去するというものです。
 しかし、『一般計画要領書』の記載の機銃は毘式40ミリのままであることから、この訓令は反映されていません。では、いつ頃減らされたのかというと、既に引用している通り、『駆逐艦夕立』の「『夕立』も16年4月この魚雷を装備(14本)した」という記述から、酸素魚雷搭載と同時に減らされたと考えられます。
 以上を踏まえて計算をやり直してみると、空気魚雷がそのまま40,640kgで、酸素魚雷2,800kg×14本で39,200kgとなります。その魚雷重量をそれぞれの水雷兵装重量から引くと、白露は116.902-40.640で76.262t、時雨が115.651t-39.200tで76.451tとなり、白露との差は+0.189tとなります。姉妹艦といっても全く同じ重量になるということはほぼないですし、時雨は酸素魚雷の搭載に伴い発射管の改造も行っているためか、少し重量が重くなっています。この重量からこの時点では由式空気圧縮機(1台850kg)は搭載されていないことが分かりました。
 よって、16年7月22日の訓令による水雷兵装改装の内容が酸素魚雷の搭載である可能性が高く、酸素魚雷を搭載したとすれば、時雨は村雨と同じ16年9月に搭載したことが明らかになりました。ただし、これに伴い新たな疑問が出てくるのが、魚雷本数に合わせて予備魚雷格納筐を撤去したかです。

・開戦前に予備魚雷格納筐を撤去したか
 白露型が太平洋戦争中に魚雷を撤去したのは、17年末の1回だけですが、ここで撤去された予備魚雷及び予備魚雷格納筐は第2煙突横の右舷のものです。そのため、もし撤去されているとすると左舷のものか後部の4つのうちのどれか2つとなります。
 開戦時や戦時中の写真や図面が少ないため参考程度ではありますが、福井静夫氏があ号作戦後にまとめた『各艦機銃、電探、哨信儀等現状調査表』にある時雨、五月雨を見てみると、第2煙突横の右舷側の予備魚雷格納筐が撤去された状態となっています。これは使用されている艦型の図が、それ以前の主な訓令を反映しているためと考えられます。
 また、同じく福井静夫氏がまとめた『「あ号作戦」当時主要水上艦艇要目』という史料に記載されている白露の搭載魚雷本数は、14が訂正された上で12と書かれていることから、あ号作戦後の白露型の図も、12本の状態(開戦時に14本だった状態から戦時中に2本撤去した状態)を表していると考えられます。撤去されている予備魚雷格納筐は17年12月以降の機銃の増備や換装の訓令によるものであるため、開戦前に魚雷本数が減らされた際には、予備魚雷格納筐は撤去されなかったと考えられます。

■結論
 以上を踏まえると、白露型は昭和16年の2回の整備作業のうちどちらかで発射管の改造と酸素魚雷の搭載をし、第二空気圧縮機は一部の艦(確認できているのは夕立のみ)が搭載、由式空気圧縮機は少なくとも開戦前には搭載しなかったことになります。
 また、酸素魚雷搭載と同時に搭載する魚雷本数は14本に減らされましたが、それに伴って予備魚雷格納筐が撤去されるということはなかったと考えられます。

■参考文献・史料
・『一般計画要領書(造工史料)』(筆者所蔵).
・『駆逐艦時雨要目簿(造工史料)』(筆者所蔵).
・『駆逐艦春雨損傷復旧工事改造重心試験成績表』(防衛研究所所蔵).
・『「あ号作戦」当時主要水上艦艇要目』(防衛研究所所蔵).
・『駆逐艦行動調書』(防衛研究所所蔵).
・海軍水雷史刊行会(1979)『海軍水雷史』海軍水雷史刊行会.
・日本造船学会(1977)『昭和造船史』(第1巻)原書房.
・防衛庁防衛研修所戦史室(1969)『海軍軍戦備1』(戦史叢書31)朝雲新聞社.
・夕立会(1987)『駆逐艦夕立』夕立会.
・鹿山誉(1982)『駆逐艦村雨の最期―祖国愛と平和への願いをこめて』村雨会.
・福井静夫(2016)『各艦機銃、電探、哨信儀等現状調査表』潮書房光人社.
・田村俊夫(2007)『艦載兵装の変遷』(「歴史群像」太平洋戦史シリーズ57)学研パブリッシング.
・田村俊夫(2010)『完全版特型駆逐艦』(「歴史群像」太平洋戦史シリーズ70)学研パブリッシング.
・雑誌「丸」編集部『初春型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』(ハンディ版日本海軍艦艇写真集17)光人社.
・小高正稔(2014)「搭載兵器図鑑」,『丸』,2014年8月別冊,pp.118-135,潮書房光人社.
・その他各種戦時日誌、戦闘詳報など

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