防弾板の装着方法

支那事変中に多くの艦艇に装着された防弾板ですが、その装着方法は大きく2つあります。

1つ目は引っ掛ける方法です。この方法は初春型の「防弾装置新設図」という史料に記載されている方法で、防弾板の裏についているフックのようなものを羅針艦橋の場合にはジャッキステーに、機銃座や上部甲板上の場合には手摺りに引っ掛けます。

2つ目の方法は、羅針艦橋にジャッキステーが無く、1つ目の方法で装着できない場合に使われます。この方法は、防弾板の上部両端に空いた穴に鋼索を通し、それを羅針艦橋の窓枠の上から吊り下げ、吊り下げた防弾板の下部、または上部と下部の両方を他の防弾板と一緒に固定します。

また、「峯風型の防弾板」で紹介している島風のように、ボルトで直接防弾板を装着している艦もありますが、現時点でその装着方法が見られるのは島風のみです。
ボルトの使用自体は、他の艦でも見られるのですが、多くは防弾板と防弾板を繋ぎ止めるのに使用しています。

参考文献・参考資料
・(1998)『陽炎型駆逐艦』「メカニックス」学研パブリッシング.
・遠藤昭(1998)『戦前船舶』「日本軍艦の時代考証」戦前船舶研究会.

当サイトについて

ここでは、支那事変時(昭和12年7月7日~16年12月8日)の駆逐艦について、防弾装置中心にまとめています。

まず、防弾板の装着について、前提としては「各艦は基本的に防弾板を装備していない」こととし、写真や航泊日誌等にて装着が確認できた場合のみ、防弾板の装着ありと判断しています。
なぜかというと、駆逐艦は中国方面へ進出後、常に防弾板を装着しているわけではないということと、同じ駆逐隊であっても、装着している艦とそうでない艦があるため、「第◯駆逐隊▢▢がこの時防弾板を着けていたから、同じ駆逐隊の△△も同じように防弾板を着けていただろう」というように推測することができず、防弾板を装着した駆逐艦をまとめる上で少しでも確実性を期するため、このようにしました。

支那事変中に装備した防弾板は、基本的にはすぐ取り外し可能な仮設のもので、日によって防弾板の位置が異なることもあるため、「支那事変中こういった姿で行動していたこともあった」という一時的な姿であることを念頭に読んで頂ければと思います。

また、防弾板は基本的に写真から判定していくことになりますが、はっきりと防弾板と分かる写真はそう多くはありません。
そこで、当サイトでは下記の基準を設けて、防弾板かどうかを判断しています。

1.文書史料にて確認できている装着個所に、板状のものが確認できた場合
2.防弾板が装着されている事例が確認できている個所に、本来そこにはない板状のものが確認できた場合
3.板状のものが索具で固定(または懸垂)されているか
※板状かどうか確認できない場合はシルエットや形状での判断も可(例:樅型、睦月型の砲座や朝潮型の羅針艦橋の防弾板)

なお、舷側手すりに立てかけて装着している防弾板については、装着場所が安定せず、すべての装着個所を把握することは不可能です。
そのため、より枚数が多い方や装着個所として指定されているところを主な装着個所として図示するものの、装着個所としては「舷側」でひとまとめにしています。

まだ研究中のため、内容は確認できたものから随時更新していきます。