若竹型

第十三駆逐隊

若竹
昭和12年
・8月14日~20日:南支邦人引揚
・9月12日:排牙山砲撃

呉竹
昭和12年
・8月14日~20日:南支邦人引揚
・9月21日:牛角山島占拠
・11月30日:上川島掃討

早苗
昭和12年
・8月5日~17日:南支邦人引揚
・9月12日:排牙山砲撃
———————————

第十六駆逐隊

朝顔
昭和12年
・7月29日~30日:大沽攻撃
・8月13日~22日:上海確保戦
・8月23日~9月8日:上海対峙戦
昭和13年
・2月5日:虎門要塞砲撃
・5月3日~13日:厦門島攻略戦
・9月7日:下川島砲撃
・10月9日~29日:広東攻略戦

芙蓉
昭和12年
・8月13日~22日:上海確保戦
・8月23日~9月16日:上海対峙戦
・9月6日~9日:虬江碼頭上陸掩護
・12月4日~9日:三灶島占拠(第一次)
昭和13年
・2月5日:虎門要塞砲撃
・5月3日~13日:厦門島攻略戦
・10月9日~29日:広東攻略戦

刈萱
昭和12年
・7月29日~30日:大沽攻撃
・8月13日~20日:上海確保戦
・8月30日~9月16日:上海対峙戦
・9月6日~9日:虬江碼頭上陸掩護
・12月4日~7日:三灶島占拠(第一次)
昭和13年
・2月18日~20日:三灶島占拠(第二次)
・5月3日~13日:厦門島攻略戦
・10月9日~29日:広東攻略戦

 

参考資料
・「駆逐艦の部(1)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14120643700、支那事変 功績便覧(防衛省防衛研究所所蔵)(2023.10.22確認)
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C14120643700
・「駆逐艦の部(2)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14120643800、支那事変 功績便覧(防衛省防衛研究所所蔵)(2023.10.22確認)
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C14120643800

若竹型の防弾装置

【 若竹 】

若竹は、写真1にて防弾板の装着が確認できており、羅針艦橋と機銃台の2か所に装着していることが分かります。

写真1-1(筆者所蔵)

写真1-2(筆者所蔵)

■装着個所:羅針艦橋、機銃台

 

【 呉竹 】

呉竹が防弾板を装着していたことは航泊日誌にて確認できます。
航泊日誌から防弾板に関する記載を下記に抜き出します。
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■航泊日誌の記載内容
昭和12年
・8月11日:防弾板装備ス
・8月13日:防弾板収ム
・9月9日:防弾板装備
・12月7日:防弾板撤却ス
——————————————————–
以上のように、防弾板の装着は確認できますが、航泊日誌からだけでは装着位置は不明です。ですが、「駆逐艦の防弾板まとめ」に掲載している表1より、若竹型の防弾板の装着位置は羅針艦橋と機銃台の2か所のため、その両方かどちらかにのみ装着された可能性が高いと考えられます。

■装着個所:羅針艦橋か機銃台、またはその両方

 

【 芙蓉 】

芙蓉が防弾板を装着していることは、下掲の写真2で確認できます。
装着個所は羅針艦橋と機銃台です。

写真2(筆者所蔵)

■3D検証(予定)

■装着個所:羅針艦橋、機銃台


 

【朝顔】

朝顔は、写真3にて機銃台に防弾板が確認できます。
一見、羅針艦橋にも装着されているように見えますが、若竹や芙蓉の防弾板と比較し、長さや数の多さから防弾板ではなく、マントレット(釣床)ではないかと考えています。

写真3(『写真 日本海軍全艦艇史(下巻)』より)

■3D検証(予定)

 

参考文献・参考資料
・各航泊日誌
・福井静夫(1994)『写真日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ.