第二警戒部隊と防弾板

今まで、航泊日誌や写真を中心に見てきましたが、事変日誌でも防弾板について少しだけ記載があります。各型のところでは書けなかったのでこちらでまとめて書こうと思います。

中支部隊の中の第二警戒部隊は12年8月8日から11月20日まで第一水雷戦隊(第二、九、二十一駆逐隊)。12年11月30日からは第四水雷戦隊(第六、十駆逐隊)になります。
防弾板の装着に関する個所を抜き出してみると、
・12年7月13日:略午前中ニ各種物件ノ搭載ヲ了シ夕刻迄ニ川内十三粍機銃ノ装備、川内及各駆逐隊ノ機銃台附近防弾鈑ノ装着ヲ了ス 
・12年7月19日:機密一水戦命令第六五號別紙第一 第一水雷戦隊不慮警戒實施要領 第一通則 二.各隊艦ハ左ノ標準ニ従ヒ兵器等ノ準備ヲ行フベシ (四)機銃台附近ノ防弾鈑ヲ装着ス
・12年8月9日:一水戦宛左記信令ヲ發令ス 信令第一〇二號 二.各隊ハ揚子江到着迄ニ左記ヲ完成シ置クベシ (ハ)防弾鈑ヲ装着ス
・12年10月14日:機密二警第二封鎖部隊命令第一號 第二封鎖部隊命令 附令 當部隊限リ機密一水戦命令第六五號別紙第一、第一水雷戦隊不慮警戒實施要領ノ適用ヲ止ム 
機密二警第二封鎖部隊命令第一號別紙 第二封鎖部隊不慮警戒實施規程 第二通則 六.警戒ニ関シ各隊艦ハ概ネ左ノ標準ニ従ヒ、兵器弾薬機関等ノ準備或ハ整備ヲ行フモノトス  (三)防弾板 特令アル迄艦橋、機銃台及軽質油庫附近ニ防弾鈑ヲ装着ス 
・12年12月4日:機密中支第二警戒部隊命令第一號 第二警戒部隊命令 一、當部隊不慮警戒實施規程別紙ノ通定ム 機密中支第二警戒部隊命令第一號別紙 第二警戒部隊不慮警戒實施規程 第二通則 六.警戒ニ関シ各隊艦ハ概ネ左ノ標準ニ従ヒ兵器弾薬機関等ノ準備或ハ整備ヲ行フモノトス (三)防弾板 特令アル迄艦橋、機銃台及軽質油庫附近ニ防弾鈑ヲ装着ス 
・13年2月24日:機密中支第二警戒部隊命令第一號 第二警戒部隊命令 一、當部隊不慮警戒實施規程別紙ノ通定ム 機密中支第二警戒部隊命令第一號別紙 第二警戒部隊不慮警戒實施規程 (三)防弾鈑 艦橋機銃台及軽質油庫附近等ニ防弾鈑ヲ装着ス 

上記の情報を整理すると、12年7月13日時点で第一水雷戦隊所属の駆逐艦は、機銃台に防弾板を装着し、7月19日でその状態が標準となります。
そして、8月9日に出た防弾板の装着指示ですが、この時点では機銃座には防弾板が装着されていたため、機銃台以外への装着と考えられます。
10月14日には、新たに命令が出されたため、7月19日の命令が適用されなくなります。その10月14日の命令には、防弾板の装着場所の標準として先の命令で指定されていた機銃座の他に艦橋が追加されています。
12月4日に出されたものは、内容的には10月14日に出された命令と変わらないですが、再度出された理由としては、第一水雷戦隊に代わって、第四水雷戦隊が第二警戒部隊となったためと考えられます。

次に航泊日誌の内容と照らし合わせてみます。
第一水雷戦隊
・初春
12年7月15日:一部艦橋防弾鈑取付ケ方
7月22日:機銃台ノ防弾鈑卸方
8月2日:前甲板ニ防弾板用意
8月11日:各部ノ防弾鈑取付ケ作業
8月27日:艦橋防弾鈑作業
11月8日:防弾鈑撤去
・若葉
12年7月14日:始業防弾板取付方
8月11日防弾板を取付ク

第四水雷戦隊
・狭霧
12年12月18日:防弾板取付始ム
12月22日:防弾板取付始ム・防弾板取付
・漣
12年12月8日:防弾板取付作業

第四水雷戦隊は、12月4日に出された命令に従って、各々のタイミングで装着されたと考えられ、どちらも装着場所が不明となっていますが、命令の内容で指示された場所と、「駆逐艦の防弾板まとめ」にて掲載した表から機銃座と羅針艦橋の両方かどちらかに装着されたと考えられます。
第一水雷戦隊の方ですが、7月13日に各艦機銃座の防弾板の装着を完了したと書いてありますが、現在、7月13日に機銃座に装着したことが確認できる史料がなく、推定ではありますが、若葉が機銃座に装着したと思われる時期が7月14日であり、全艦が13日に装着したわけではないようです。

参考文献・参考資料
・各事変日誌

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